NYに飛び込む大学生の留学ブログ

NYの大学で音楽を勉強しながら日常で思ったり体験したことを書いていきます

僕自身について

今回は僕が何者なのかについて、時系列でライフヒストリーっぽく書いてみます。

 

生まれは大阪、育ちは千葉県船橋市。親戚と家族は、南アフリカ共和国在住の伯母とその夫(ポルトガル人)とのハーフの従兄弟を除いて全員関西人。関西人なのに母はたこ焼きにキャベツを入れるのがデフォだと思ってます。エセ関西人。

 

小学校

入学の少し前からクラシックのピアノを始める。正直練習はそんなに好きではなかったけれど、曲を覚えて自由に表現できるようになった時の楽しさは何にも代えがたく、またピアノをうまく弾けるということが自分の自信にも繋がっていた。

両親が働いていたので、学校の後は放課後ルームに行っていた。学校生活の中でここが一番楽しかったかもしれない。外ではキックベースや野球、サッカー、警ドロ、虫捕り、たけのこ掘り、木登り、室内ではトランプ、ボードゲーム、レゴ、ベーゴマなど沢山楽しいことをやっていた。

この頃親が僕の好奇心を大切にして、習い事沢山させてくれたのは、僕のチャレンジ精神につながったと思う。ピアノ、空手、そろばん、アーチェリー、野球など沢山経験できた。

小学校6年の時に中学受験で都内の中学を受験するために江戸川区の小学校に転校。受験のために転校したはずなのに、ここでの思い出はひたすら友達とゲームをやっていたことしかない… そして第一志望には落ちたので、地元船橋に戻り公立中学校に通うことになった。

 

中学校

中学受験のために勉強しことのおかげで勉強面では滑出し順調で、卒業まで成績は常に良かった。勉強はそれなりに楽しかった

入学して2か月くらいはサッカー部に所属していたけれど、ピアノや勉強との両立がなかなかできず退部する。テニスに興味があったものの、学校には珍しくテニス部がなく、外のテニスクラブで習い始める。

この頃までほとんど音楽といえば、クラシックしか聴いてこなかったが、2008年のSPEEDの再結成をきっかけにSPEEDの曲を知り、ポップスに目覚める。中古屋に置いてあったSPEEDのCDを買いあさり全部揃え、ライブにも行った。この流れで90年代の音楽が大好きになり、GLAY, B'z, Chage and Askaなどもよく聴くようになる。また英語の授業で先生が洋楽を使ってくれた影響で、洋楽にも興味が出始めた。AQUA, Linkin Park, Michael Jackson, Village People, Avril Lavigneなどを聴いていた。

今でも90年代のJ-popはすべての音楽の中で一番と言っていいほど好きです。

 

 

高校

エレキギターを始め、痛いメタラーに変貌。

 

大学生

慶応義塾大学文学部に入学。専攻は高校の頃から興味があった社会学

音楽サークル(HM/HR, Pops, Funk, R&B, Fusion)、国際交流サークル、アジア法学生協会、市川慶応学生会に所属

・1年生

沢山のサークルに顔を出し、結局上記のサークルに落ち着く。学校まで自宅から2時間かけて通っていた。今までほとんどメタルとポップスしか聴いていなかったが、ジャズやフュージョンR&Bなど様々な音楽に興味を持ち、サークルでプレイし始めた。

この頃漠然と留学したいと思うようになり、様々な留学イベントに参加し情報を集め始める。

また、将来のことを意識して社会人の話を聴きに行ったり、セミナーに参加した。しかし大学生の今はやりたいことを、とことんやるのが最善だと確信し、その後は一切そのような場には行かなくなる。

 

・2年生 

他大の音楽サークルにも顔を出すようになる。2年生後半になると留学の準備をし始め、徐々にあまり音楽をする余裕がなくなり、ライブにもほとんど出られなかった。

3月には、ようやくアドミッション過程をすべて乗り越え、無事第一志望のニューヨーク市立大学(The City University of New York, The City College、以下CCNY)音楽部 に合格。またライブに出始めるようになる。

「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」に応募し、大変な審査過程が始まる。

 

・3年生

留学に行くまでの間、できるだけ沢山ライブのライブに出る。ラオス澳門・香港にそれぞれ1週間ほど旅行。

トビタテの第5期多様性人材コースに合格し、給付型の奨学金が得られることが決まる。

その後は出発までの間、心残りがないように遊びまくった(1年で戻ってくるけど)。

3年の夏休みをもって慶応での学生生活を1年半残し、CCNYに入学。

2017年秋学期から慶応に復学予定

 

 

現在に至る